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東京地方裁判所 昭和63年(ワ)15450号 判決

原告

笹井建二

原告笹井建二法定代理人親権者父兼原告

笹井和也

原告笹井建二法定代理人親権者母兼原告

笹井裕子

右三名訴訟代理人弁護士

小林貞五

被告

株式会社ピープル

右代表者代表取締役

堀山修一

被告

渡辺英明

被告

金沢安晃

右三名訴訟代理人弁護士

中村光彦

主文

一  被告らは、各自、原告笹井建二に対し、金一億三〇九一万一〇七八円及び内金八一七三万九三〇〇円に対する昭和六二年一〇月一八日から、内金四九一七万一七七八円に対する平成二年二月一七日から各支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

二  被告らは、各自、原告笹井和也及び同笹井裕子に対し、各金四〇〇万円及びこれに対する昭和六二年一〇月一八日から各支払済みまで年五分の割合による金員をそれぞれ支払え。

三  原告らのその余の請求をいずれも棄却する。

四  訴訟費用は、これを一〇分し、その八を被告らの負担とし、その余を原告らの負担とする。

五  この判決は、第一項及び第二項に限り、仮に執行することができる。

事実

第一  当事者の求める裁判

一  請求の趣旨

1  被告らは、各自、原告笹井建二に対し、金一億八一五四万六四九四円及び内金八一七三万九三〇〇円に対する昭和六二年一〇月一八日から、内金九九八〇万七一九四円に対する平成二年二月一七日から各支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

2  被告らは、各自、原告笹井和也及び原告笹井裕子に対し、各金五〇〇万円及びこれに対する昭和六二年一〇月一八日から各支払済みまで年五分の割合による金員をそれぞれ支払え。

3  訴訟費用は被告らの負担とする。

4  仮執行宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

(被告ら)

1 原告らの請求をいずれも棄却する。

2 訴訟費用は原告らの負担とする。

第二  当事者の主張

一  請求原因

1  当事者

(一) 原告笹井建二(昭和四九年六月一一日生。以下「原告建二」という。)は、被告株式会社ピープル(以下「被告会社」という。)の経営する「ピープルスポーツクラブ新座」(以下「本件クラブ」という。)の会員として、本件クラブにおいて体育実技の指導を受けていた者であり、原告笹井和也及び同笹井裕子は、それぞれ原告建二の父及び母である。

(二) 被告会社は、スポーツ施設・スポーツ教室等の経営を目的とし、全国に有する七〇余のスポーツ施設において、施設利用サービスの提供及び会員に対する水泳・体育等実技の指導を実施している会社であり、被告渡辺英明(以下「被告渡辺」という。)は、被告会社の従業員としてクラブ会員に対し直接体育実技を指導していたトレーナーであり、被告金沢安晃(以下「被告金沢」という。)は、本件クラブの支配人として被告会社に代わって本件クラブの業務全般につき指揮監督にあたっていた者である。

2  本件事故の発生

(一) 原告建二は、昭和五六年三月に本件クラブ(体育コース)に入会し(当時六歳)、それ以来、本件クラブにおいてトレーナーから体育実技(跳馬・平行棒・鉄棒等)の指導を受け、同五七年八月には選手コースに転入して週六日の指導を受けるようになった。

(二) 昭和六二年一〇月一七日午後七時五〇分ころ、原告建二は、翌日出場予定の埼玉ジュニア体操選手権に備え、被告渡辺の指導で鉄棒のトカチェフ(背面開脚後ろ飛び越し)を練習中、飛び越し時に大腿部を鉄棒のバーに接触させて鉄棒直下に後頭部から落下し、第三・第四頸椎脱臼等の傷害を負った(以下「本件事故」という。)。

3  被告らの責任

(一) 被告渡辺の責任

(1) 一般に鉄棒は、技に失敗した場合落下により負傷する危険性の高いスポーツであり、さらに本件では、原告建二は当時中学校一年生で体力的にも未熟であったこと、トカチェフは難度Cの高度な技であって、原告建二は本件事故当時安定してトカチェフを成功させる習得状態にはなかったこと、原告建二は当日午後六時三〇分からあん馬・平行棒等の練習を開始しており疲労が蓄積された状態であったことなどの事情が存在したのであるから、指導にあたった被告渡辺は、原告建二の能力・習熟度・疲労状況等を考慮して無理のない程度の技を練習させるにとどめるか、あるいは、原告建二がトカチェフに失敗して落下し負傷する危険があることを予見し、落下の際のショックを和らげるために、予め鉄棒直下にも着地側と同じく十分な厚さの安全マットを重ねて敷くべき注意義務、及び、原告建二が技に失敗して落下することが分かった時点で即座に手を出して抱きとめるなどの補助措置を講じるべき注意義務を負っていた。

(2) しかるに被告渡辺は、原告建二の習熟度・疲労状況を十分に考慮することなくその能力を超えた無理な技を練習させた上、練習にあたって、着地側には厚さ合計五三センチメートルのマットを敷きながらバー直下には合計二七センチメートルの厚さのマットを敷くにとどめる等不適切な安全マットの管理をし、また、被告渡辺自身が補助のためバー直下に待機していながら、原告建二が技に失敗したのに気づきながら漫然足から落下するものと速断して補助の手を出しそこない、適切な補助措置を講じない等の前記注意義務を怠り、その結果、原告建二に本件傷害を負わしめるに至ったものであるから、被告渡辺は本件事故による損害を賠償すべき責任がある。

(二) 被告会社の責任

(1) 使用者責任

本件事故は、原告建二が被告渡辺から被告会社の事業の一環である体育実技指導を受けている際中に生じたものであるから、被告会社は被告渡辺の使用者として民法七一五条により責任を負う。

(2) 安全配慮義務違反(予備的主張)

原告建二は、被告会社との間で、本件クラブに入会し体育実技の指導を受けることを内容とする準委任契約を締結したのであるから、被告会社は、右契約上の義務として、体育実技の指導の場において会員の生命・身体を保護するため万全の配慮をすべき注意義務(安全配慮義務)を負っている。しかるに、被告会社は、被告渡辺らコーチに対して実技研修や体系的な理論研修を行わせていない上、指導用のカリキュラム・指導計画書等も作成しておらず、また、被告渡辺による現実の指導も、原告建二の能力・習熟度・疲労の程度を十分配慮することなく無理な練習を行わせたものである。したがって、被告会社には、右安全配慮義務に違反した過失があり、右過失によって本件事故が発生したのであるから、被告会社は本件事故による損害を賠償すべき責任がある。

(三) 被告金沢の責任

被告金沢は、本件クラブの支配人として、被告会社に代わり本件クラブの事業を監督する立場にあった者であるから、民法七一五条第二項の代理監督者として、被告渡辺の過失から生じた本件事故による損害を賠償する責任を負う。

4  原告らの損害

(一) 治療状況及び後遺障害

原告建二は、昭和六二年一〇月一七日から昭和医大藤ケ丘病院に入院して治療を受け、一時志木中央病院に転院した後、平成元年一二月一六日から自宅療養に入った。

原告建二は、現在、意識は正常であるが、頸髄損傷による四肢体幹機能の著しい障害(身体障害者等級表一級)により、自力呼吸不能・四肢体麻痺・感覚脱失・体温調整不能で、食事・排便(浣腸)・排尿・寝返り等日常生活の全てに介護を要する寝たきりの状態にあり、今後も回復の見込みはない。

(二) 原告建二の損害 金一億八八七一万五二一三円

(1) 逸失利益 金六一七三万九三〇〇円

本件事故がなければ、原告建二は一八歳から六七歳まで五〇年就労可能であった。そして、昭和六一年賃金センサスによれば男子労働者の平均年収額は金四三四万七六〇〇円であり、原告建二の労働能力喪失率は生涯を通じて一〇〇パーセントであるから、ライプニッツ方式により中間利息を控除して原告建二の逸失利益の現在価額を算出すると、金六一七三万九三〇〇円となる。

(2) 入院中の付添看護料 金三五五万六五〇〇円

原告建二は、入院期間中、毎日、原告建二の母である原告裕子又は父である原告和也、姉、兄のいずれかの付添看護を受けた。

右付添看護料は一日金四五〇〇円が相当であるから、昭和六二年一〇月一七日から平成元年一二月一六日まで計七九一日の付添看護料は金三五五万九五〇〇円となる。

(3) 看護交通費 金六五万五〇四〇円

原告建二の入院中、付添看護のため病院までの往復に要した交通費は、合計金六五万五〇四〇円である。

(4) 入院雑費 金九四万九二〇〇円

原告建二は、入院雑費として一日あたり金一二〇〇円を必要としたから、前記入院期間中の入院雑費は合計金九四万九二〇〇円となる。

(5) 家屋改造費用 金一五二〇万九五四〇円

原告建二が寝たきりの療養生活をするための場所、設備、療養・介護の利便確保のため、原告らは、事故前に居住していた平屋建物を取壊して新築することを余儀なくされ、建築費用として金三〇四一万九〇八一円を支出したが、これにより原告ら家族が享受する利便を考慮すると、右金額の二分の一である金一五二〇万九五四〇円が本件事故と相当因果関係のある損害というべきである。

(6) 療養消耗品費用 金四九五万三二六二円

原告建二は、自宅での療養生活においても、日々喉開切部のガーゼの取替等が必要であり、右療養生活に係る消耗品費用はすくなくとも年間金二六万〇九七〇円であるところ、原告建二は本件事故発生後である平成二年二月当時満一五歳であって、昭和六三年簡易生命表によれば平均余命は61.21年であるから、右金額を基準としてライプニッツ方式で算出すると、同月以降将来にわたる療養消耗品費用の合計額は金四九五万三二六二円となる。

(7) 薬代 金二二三万二一六六円

原告建二は、排便のための浣腸剤、整腸や痰誘出のための内服薬等を必要とし、右薬代金は、合計年額一一万七六〇五円であるから、前記と同様にして平均余命までの現価を算出すると、金二二三万二一六六円となる。

(8) 療養器具購入代金 金三九八万七二〇九円

原告建二が自宅療養を開始するに際して購入を要した、人工呼吸器、医療要ベッド、空気清浄器、コルセット、ポータブル浴槽、頸椎装具、煮沸消毒機・痰吸引機・酸素ボンベ等の療養器具の代金額は合計金三九八万七二〇九円である。

(9) 訪問医療費等 金五六〇万九一〇四円

原告建二の自宅療養については、志木中央病院から医師及び看護婦がカニューレ交換のため二週に一回、また、リハビリ介護士が一週に一回来訪しており、右訪問医療等に要する費用は年額金二九万五五三〇円であるから、平均余命までの現在価額をライプニッツ方式で算出すると、金五六〇万九一〇四円となる。

(10) 検査入院費 金二〇九万九五五一円

原告建二は、自宅療養開始後も定期的に検査入院が必要であって、その年額費用は金一一万〇六一八円と算定されるから、平均余命までの現在価額をライプニッツ方式で算出すると金二〇九万九五五一円となる。

(11) 人工呼吸器の定期点検料金 金二六二万五八九一円

原告建二の使用する人工呼吸器は、六〇〇〇時間(二五〇日)毎に定期点検が必要であって、その年額費用は金一三万八三四九円と算定されるから、平均余命までの現在価額をライプニッツ方式で算出すると金二六二万五八九一円となる。

(12) 将来の付添看護費 金四七一〇万八八五六円

現在専ら原告建二の母である原告裕子が看護にあたっているが、原告建二が終生、日常生活全般にわたり全面的な介護・付添を必要とする状態であることを考慮すれば、右介護料については職業的在宅介護サービスの介護料を基準として算出すべきであり、右基準によれば介護費は一日六八〇〇円であるから、平均余命までの現在価額をライプニッツ方式で算出すると金四七一〇万八八五六円となる。

(13) 診療費及び転院費用 金四四八万六五九四円

原告建二は、本件事故による傷害の診療費として、昭和医科大学に対して金三九一万六六九七円、新座志木病院に対して金五二万二一〇四円を支払った。

また、原告建二は、自宅療養に備えて一時志木中央病院に転院した際、貸ベッド代等として同病院に対し金四万七七九三円を支払った。

(14) 入院慰謝料 金三五〇万円

原告建二の受けた本件傷害の部位・程度・生死が危ぶまれる状態が発生したことに鑑みれば、入院期間に対応する慰謝料は金三五〇万円が相当である。

(15) 後遺症慰謝料 金二〇〇〇万円

原告建二は、本件事故により、自力呼吸不能及び常時介護を要する四肢体幹機能麻痺の後遺障害を残し、就職・結婚等を不可能となったものであり、その精神的苦痛を慰謝するには金二〇〇〇万円が相当である。

(16) 弁護士費用 金一〇〇〇万円

本件事故と相当因果関係にある弁護士費用としては、金一〇〇〇万円が相当である。

(三) 原告和也・同裕子の損害各金五〇〇万円

原告建二が受けた傷害の内容、終生にわたる介護の必要等を考慮すれば、両親である原告和也及び原告裕子の被った精神的苦痛は甚大であり、これを慰謝するには各金五〇〇万円が相当である。

5  よって、原告建二は、被告らに対し、不法行為に基づく損害賠償として、被告会社に対しては、予備的に債務不履行に基づく損害賠償として、前記損害金合計一億八八七一万五二一三円のうち金一億八一五四万六四九四円及び内金八一七三万九三〇〇円に対する不法行為成立の後である昭和六二年一〇月一八日から、内金九九八〇万七一九四円に対する同じく不法行為成立の後である平成二年二月一七日から各支払済みまで民法所定の年五分の割合による金員の支払を求め、原告和也及び同裕子は、被告らに対し、不法行為に基づく損害賠償として、前記損害金各五〇〇万円及びこれに対する不法行為成立の後である昭和六二年一〇月一八日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による金員の支払をそれぞれ求める。

二  請求原因に対する認否(被告ら)

1  請求原因第1項は認める。

2  同2、(一)は認める。(二)のうち、傷害の内容については不知、その余は認める。

3(一)  同3、(一)(1)のうち、鉄棒が危険性の高いスポーツであること、原告建二が本件事故当時中学校一年生であったこと、トカチェフが難度Cの高度な技であること、原告建二が当日午後六時三〇分からあん馬・平行棒等の練習を開始したことは認め、その余は否認する。本件事故の前日は練習が休みであり、事故当日も、翌日の試合に備えて他の六名の選手とともに一通り流す程度の練習であったから、本件事故当時、原告建二が疲労していたという事実はない。(2)のうち、マット使用状況及び被告渡辺が補助のためバー直下に待機していたことは認め、その余は否認ないし争う。

被告渡辺は、原告建二の能力・習熟度に応じて段階的にトカチェフの練習を行わせてきており、能力を超えた無理な技を練習させたということはない。すなわち、原告建二は、生来体操の素質に恵まれ、昭和五七年八月から本件クラブの選手コースに所属して体操選手としての訓練を受ける傍ら、ジュニア体操競技大会等数多くの大会に出場して優秀な成績をあげるなど、本件クラブの第一人者として将来を期待されていた。また、原告建二自身も、体操選手としての完成を目標にさらに高度な技の習得を目指して練習に励んでいた。被告渡辺は、原告建二の右のような素質及び体操歴等に照らした上でトカチェフの練習を開始させることが相当と判断し、昭和六〇年九月から練習を計画して、同年一二月から同六二年八月までの間、トカチェフの各段階の練習を単発的に行わせた上、同年九月からトカチェフを鉄棒演技に組み込んだ練習を始めた。その結果、原告建二は、本件事故当時には既に半分以上の割合でトカチェフを成功させる程度に至っていた。

また、安全マットについては、バー直下にマットを重ねて敷くと演技の邪魔にもなり、補助者の妨げともなるので重ねて敷かないのであって、安全マットの管理に不適切な点はない。

補助態勢については、被告渡辺自身がバー直下で鉄棒の柱を背にして立ち、原告建二の動きから目を離さず、原告建二が大腿部をバーに接触させて落下した際、危険を感じて即座に補助のため動いたが、瞬時に落下してしまったため抱きとめることができなかったものであって、本件事故は不可抗力であり、被告渡辺の補助態勢に過失はない。

(二)  (被告会社)

請求原因3、(二)(1)のうち、本件事故の際の練習指導が被告会社の事業の一環として行われたものであることは認め、その余は争う。(2)のうち、原告建二が被告会社との間で体育実技の指導を受けることを内容とする準委任契約を締結したことは認め、その余は否認ないし争う。

(三)  (被告金沢)

請求原因3、(三)のうち、被告金沢が本件クラブの支配人として、抽象的に本件クラブの事業を監督する立場にあったことは認め、その余は争う。被告金沢は、体育実技の指導について実際上現実にトレーナーを監督していた者ではないから、民法七一五条二項の代理監督者にはあたらない。

4  同4、(一)のうち、原告建二の意識が正常であることは認め、その余は不知。

(二)(1)は争う。(2)のうち、原告建二が入院中父母らの付添看護を受けたことは不知、その余は争う。(3)は争う。(4)は争う。(5)のうち、原告らが住居を新築したことは不知、その余は争う。(6)のうち、原告建二が現在一五歳であることは認め、その余は否認ないし争う。(7)は否認ないし争う。(8)は争う。(9)のうち、医師看護婦及びリハビリ介護士が来訪していることは不知、その余は争う。(10)のうち、原告建二が定期的に検査入院を必要とすることは不知、その余は争う。(11)のうち、人工呼吸器の定期点検が必要であることは不知、その余は争う。(12)は争う。(13)は争う。(14)は争う。(15)は争う。(16)は争う。損害額の算定にあたっては、身体障害者療護施設の存在、特別障害者扶養手当の支給などの社会保障制度によって重度障害者の生活が保障されていることも考慮の対象とされるべきである。

(三) は争う。

三  被告らの主張

1  被害者による黙示の承諾

鉄棒を含む体操競技はそれ自体危険性の高いものであり、殊に原告建二の所属していた選手コースは体操競技会等で難度の高い技を競える選手の育成を目標としている以上、本件事故のような結果を完全に回避することは不可能である。そして、原告建二は、選手コースの実体・その練習内容等を熟知した上で、自由意思に基づいて選手コースに所属し、練習を続けていたのであるから、本件のような事故・傷害が発生しうることを黙示的に承諾していたというべきであり、したがって違法性が阻却される。

2  過失相殺等

(一) 体操の練習はコーチと選手の共同作業によるものであって、実際に練習を行う選手自身に高度の注意力と集中力が要求されるべきであるから、本件においても、コーチ側の要因だけで事故が発生したということはあり得ず、原告建二自身にも、本件のような落下を起こさないようにすべき注意義務に違反した過失があったというべきである。

(二) 原告建二は、選手コースに所属して体操競技の練習を行う危険を認識しながらあえてその危険に接近し、その結果、本件事故が発生しているのであるから、自ら危険を引受けたものとして、損害の公平な分担の理念に照らし、損害賠償額を減額すべきである。

3  損害填補

本件事故後、被告会社は、原告建二に対し、次のとおり支払をしており、したがって、原告建二の損害はその限度で填補されているから、過失相殺等減額後の金額から以下の金額が控除されるべきである。

(一) 診療費 金四九七万四六一八円

(昭和医科大学藤ケ丘病院 金三九一万六六九七円)

(新座志木中央総合病院 金一〇五万七九二一円)

(二) 訪問診療交通費 金八万七〇〇〇円

(三) 入院雑費 金五万〇一一一円

(四) 人工呼吸器関係 金二五八万四二八〇円

(購入費 金二三〇万円)

(点検費用 金二八万四二八〇円)

(五) 療養関係費 金六九万七四五一円

(六) その他の支払(医療費の仮払い) 金三〇万円

合計 金八六九万三四六〇円

四  被告らの主張に対する認否等

1  被告らの主張1のうち、体操競技が危険性の高いスポーツであること、完全に傷害事故を回避することが不可能であることは認め、その余は争う。危険を伴うスポーツに参加する者が事故発生の可能性を認識していたとしても、それは発生した事故の結果を認容するという意識とは全く異なるものであるから、それによって被害者の承諾があったということはできない。

2  同2(一)は争う。原告建二は、被告渡辺の指導に従ってトカチェフを練習していたのであり、技を習得する過程で失敗して鉄棒から落下することは当然であって、落下を起こさないようにすべき注意義務が原告建二に存在したとの主張は失当である。

(二)は争う。危険性の高いスポーツであるといってもその危険性の程度は様々であり、スポーツクラブとの間で指導契約を締結する者は、有能な指導者による安全指導のもとに行われることを前提とし、損害発生の具体的危険はないものと認識するのであるから、危険なスポーツに参加したからといって直ちに右危険を引受けたものとして損害額が減殺されると解すべきではない。

3  同3のうち、被告主張の金額が原告建二に支払われたこと及びそのうちその他の支払とされている金三〇万円が医療費の仮払いとしての性質を有することは認め、その余は争う。これらの金額は、医療関係費として被告会社が負担するとの申出により支払ってきたものであり、損害額から控除されるべきではない。

第三  証拠〈省略〉

理由

一当事者

請求原因1の事実は各当事者間に争いがない。

二本件事故の発生

同2の事実のうち、本件事故当日原告建二が第三・第四頸椎脱臼等の傷害を負ったことは成立に争いのない〈書証番号略〉により認められ、その余の事実は各当事者間に争いがない。

三被告らの責任

1  被告渡辺の責任

(一)  原告建二の疲労状況について

原告建二が当日午後六時三〇分からあん馬・平行棒等の練習を開始したことは当事者間に争いがなく、被告渡辺英明本人尋問の結果によれば、本件事故における原告建二の失敗の態様がふだんの場合と異なっていること、すなわち、ふだんであれば、後方車輪から手を鉄棒からつき離しバーを飛び越した後、両手で鉄棒を掴むことができずに落下するケースが多かったところ、本件ではそもそもバーを飛び越しきれずに大腿部をバーに接触して落下したものであることが認められ、また、被告金沢本人尋問の結果によれば、本件事故の発生した午後七時五〇分ころは、練習開始から一時間程度経って一般に疲労が溜まるころであることが認められる。

しかしながら他方、成立に争いのない〈書証番号略〉及び右被告渡辺本人尋問の結果によれば、本件事故の前日は練習は休みであったこと、当日午後六時三〇分からの練習も、原告建二のみが練習したわけではなく、数名の選手が翌日の試合に備えて同様に調整練習をしていたことが認められ、また、弁論の全趣旨により真正に成立したものと認められる〈書証番号略〉及び成立に争いのない〈書証番号略〉によれば、鉄棒演技においては瞬時のタイミングのずれからバーに接触して落下することもよくある事態であることが認められ、これらの事実に照らせば、当日のトカチェフの失敗の態様がそれまでと異なっている事実があっても本件事故当時原告建二が過度に疲労していたと認めることはできず、他に原告建二が過度に過労していたことを認めるに足りる証拠はない。

(二)  練習指導方法の妥当性について

(1) 一般に鉄棒が危険性の高いスポーツであること、原告建二が当時中学校一年生であったこと、トカチェフが難度Cの高度な技であることは当事者間に争いがなく、被告渡辺及び同金沢各本人尋問の結果並びに弁論の全趣旨によれば、以下の事実が認められる。

被告渡辺は、昭和五七年から原告建二のコーチを担当した。当時、原告建二は本件クラブの選手育成コースに所属していたが、体操の素質に恵まれていたため、被告渡辺の推薦により、原告建二本人並びに同人の父母である原告和也及び同裕子の了承の上で選手コースに移り、週六日の指導を受けることになった。それ以後、原告建二は体操選手としての技を習得する目的で被告渡辺の指導を受け、昭和五七年及び同五八年には床運動・跳馬・鉄棒を練習し、同五九年にはそれにあん馬を加えた四種目、同六〇年からは吊り輪・平行棒を加えた計六種目の練習を行うようになった。

その一方で、原告建二は、埼玉ジュニア体操競技大会・全日本ジュニア体操共演会等、年数回行われる対外試合に出場して個人総合で入賞するなど優秀な成績を数多く収めた。本件事故当時、男子選手コースには原告建二を含め七人が在籍していたが、技術的には原告建二が最も上であり、被告渡辺らは、訓練次第では将来日本ナショナルチームのメンバーとしてオリンピックや世界選手権に出場しうる才能があると認めていた。

原告建二は、被告渡辺の指導により、昭和六〇年一二月からトカチェフの練習を開始した。その後、同六二年春、原告建二が鉄棒演技の練習中骨折したため三か月程度練習を中断したが、同年七月ころからトカチェフの練習を再開した。当初は、演技を助けるための補助をつけた上でトカチェフを構成する技の各段階ごとに単発練習を行い、昭和六二年の夏休み明けからトカチェフを間断のない一連の鉄棒演技に組み入れた練習を行うようになった。同年一〇月からは、演技を助けるための補助を外して練習を行い、本件事故当時、トカチェフの成功率が五〇パーセントに達するかどうかという習熟度であった。本件事故の約一週間前の試合で初めてトカチェフを組み入れた鉄棒演技を行ったが、その際には、バーを飛び越した後、鉄棒を掴み損ねて失敗した。

原告建二と同程度の年齢でトカチェフの技を使える選手は全国で五、六名程度であった。本件クラブでも他に一名が練習していたが、原告建二と比べると進度が遅れており、試合に使える程度には至っていなかった。

以上の事実が認められ、他に右認定を覆すに足りる証拠はない。

(2) 右(1)認定のような原告建二の素質・経歴及び体操選手としてより高度な技の習得が要求される選手コースの性質に照らせば、原告建二が中学一年生であること及びトカチェフが難度Cの高度な技であることを考慮にいれても、原告建二にトカチェフの練習を行わせることが相当であるとの被告渡辺の判断に誤りがあったとは言いがたく、練習指導方法についても、相当の期間にわたり段階を追って練習が進められており、その結果、本件事故当時には半分近い割合でトカチェフが成功するに至っていたのであるから、原告建二の能力・習熟度を超えて無理な練習が行われたとは認められない。

トカチェフを試合での演技内容として取入れるとの選択についても、成功率が半分近くなれば、新たな技を試合で挑戦的に試みるよう勧めることは選手コースの指導者として不適切な助言ということはできず、また、被告渡辺本人尋問の結果によれば、ある技を試合で演技するか否かは最終的には本人が決定する事柄であることが認められるのであるから、トカチェフを試合での演技に取入れた判断に過失があるということもできない。

(3) したがって、被告渡辺による原告建二の練習指導方法に原告ら主張のような過失があったものとは認められない。

(三)  安全マット管理について

本件事故当時、着地側には厚さ合計約五三センチメートル、バー直下には厚さ合計約二六センチメートルのマットが敷かれていたことは当事者間に争いがない。原告らは、バー直下にも着地側と同程度の厚さのマットを敷くべきであり、マットの管理が不適切であった旨主張するが、前掲〈書証番号略〉及び被告渡辺本人尋問の結果によれば、バー直下にマットを何枚も重ねて敷くと補助者の足場が不安定になり、補助の妨げとなるなどかえって安全対策上好ましくないこともあって、通常バー直下には本件の程度の厚さのマットを敷くのみにとどめていることが認められ、補助者がバー直下付近に待機せず、したがって演技に失敗して演技者が落下してもこれを抱きとめる者がいない場合であれば格別、そうではなく、被告渡辺が補助者としてバー直下付近に待機する態勢で原告建二の練習を指導していたことが当事者間に争いのない本件の場合には、被告渡辺に安全マットの管理を怠った過失があるということはできない。

(四)  補助の適否について

前示のとおり、原告建二の練習中、被告渡辺自身が補助のためバー直下に待機していたことは当事者間に争いがなく、前掲〈書証番号略〉、事故現場を復元した写真であることにつき争いのない〈書証番号略〉及び被告渡辺本人尋問の結果によれば、被告渡辺は、手を伸ばしさえすれば原告建二の体に手を触れることができる位置に待機していたこと、原告建二が後ろ飛び越しのためバーから手を離した時点で既に原告建二の体が空中に跳び出した方向等から原告建二の体がバーを飛び越せずに失敗することがあらかじめわかり、さらに、空中からバーの方に落ちてきた原告建二が次に続く技として手で鉄棒を掴めなかった時点で具体的に落下するとわかったこと、被告渡辺は、今回もそれまでの失敗の場合に見られたように原告建二が足から落ちるか尻餅をつくものと見込んでしまい、その体を抱きとめる挙に出なかったところ、原告建二の大腿部がバーに接触し、手で鉄棒を掴みきれなかった直後になって頭から落ちつつあることに気づきあわてて補助しようと手を差し出したが間に合わず、原告建二の体に手を触れることもできなかったことの各事実が認められる。

この点につき、被告らは、原告建二が大腿部をバーに接触させてから落下するまで瞬時の出来事であったため被告渡辺の補助行為が間に合わなかったものであって、本件事故は不可抗力によるものである旨主張し、前掲〈書証番号略〉中には、鉄棒競技、特にトカチェフにおける補助は瞬間的に必要とされるもので難しく、本件における補助行為に不適当な点は認められない旨の右主張に副う見解が記載されている。

しかしながら、そもそも、本件で問題となっている補助行為は、演技者が技に失敗して落下する際にその身体の安全を保護することを目的とするものであり、したがって、被告渡辺は、空中に跳び出した原告建二の体がその跳び出した方向等からバーを飛び越せずに失敗することがあらかじめわかった以上、その失敗に基づく落下の可能性に備えるとともに、落下の方向が頭からであるか足からであるかに関わらず、原告建二が実際に手で鉄棒を掴むことができずに落下することがわかった時点で右のような身体安全保護の所期の目的に必要な補助に動くべきであったということができる。そして前述のように、被告渡辺は、手を伸ばしさえすれば原告建二の体に触れることができる位置にあったのであるから、いかに落下が瞬間的な出来事であるとはいえ、原告建二の体がバーを飛び越せずに失敗することがあらかじめわかり、その失敗に基づく落下に備えつつ、実際に落下が現実化した時点で即座に手を差し出していれば原告建二の体に手が触れないということはありえず、原告建二を抱きとめるかあるいは落下の際の衝撃をいくらかでも弱めることによって原告建二に傷害を負わさせず、又は本件傷害のような重篤な結果の発生を防ぐことが可能であったものと解されるから、本件事故が不可抗力によるものである旨の被告らの主張は採用することができず、被告渡辺には原告建二の身体の安全を保護するための必要な補助措置を怠った過失があるものといわざるをえない。

2  被告会社の責任

本件事故が原告建二が被告渡辺から被告会社の事業の一環である体育実技指導をうけている際中に生じたものであることは当事者間に争いがないから、被告会社は、被告渡辺の使用者として、被告渡辺の前示の過失によって原告らが被った本件事故による損害につき賠償すべき責任を負うものといわなければならない。

3  被告金沢の責任

民法七一五条二項にいう代理監督者とは、客観的に観察して、実際上現実に使用者に代わって事業を監督する地位にある者をいうと解されるところ、被告金沢が本件クラブの「支配人」としてその業務全般につき指揮監督にあたっていたことは当事者間に争いがなく、被告金沢本人尋問の結果によれば、被告金沢は同時に本件クラブの体育スクールのマネージャーも兼ねており、現実に被告渡辺を含むコーチらの能力を判断し、選手の練習指導方法等につき報告を受け、また、指示を与えるなどしていたことが認められ、これらの事実に鑑みれば、被告金沢は同項にいう代理監督者にあたるというべきである。したがって、被告金沢もまた、本件事故によって発生した損害につき賠償すべき責任を負うものといわなければならない。

四原告らの被った損害

1  原告建二の治療状況及び後遺傷害

当事者間に争いのない事実に加えて成立に争いのない〈書証番号略〉及び原告裕子本人尋問の結果によれば、原告建二は、本件事故直後である昭和六二年一〇月一七日から昭和医大藤ケ丘病院に入院して治療を受けたこと、一時志木中央病院に転院した後、平成元年一二月一六日から現在に至るまで自宅療養中であること、現在意識は正常であるが、頸髄損傷による四肢体幹機能の著しい障害(身体障害者等級表一級)により、自力呼吸不能・四肢体麻痺・感覚脱失・体温調整不能であって、食事・排便(浣腸)・排尿・寝返り等日常生活の全てに介護を要する寝たきりの状態にあり、かかる後遺障害は、今後も回復の見込みがないことの各事実が認められる。

2  原告建二の損害

(一)  逸失利益

前記1で認定した原告建二の後遺障害に照らすと、原告建二は労働能力を一〇〇パーセント喪失したものと認められ、成立に争いのない〈書証番号略〉及び弁論の全趣旨に照らせば、原告建二は、本件事故当時、満一三歳の健康な男子であったことが認められるので、本件事故がなければ、一八歳から六七歳まで五〇年間就労可能であったものと推認される。そして、昭和六一年賃金センサスによれば男子労働者の平均年収額は金四三四万七六〇〇円であるから、右金額を基礎としてライプニッツ方式により中間利息を控除して原告建二の逸失利益の現在価額を算出すると、金六一七三万九三〇〇円になる。

(二)  入院中の付添看護料

原告裕子本人尋問の結果によれば、原告建二は、入院期間中常時付添看護を必要とする症状にあり、毎日、原告裕子、同和也、姉又は兄のいずれかの付添看護を受けたことが認められる。

右付添看護料は、一日金四五〇〇円と認めるのが相当であるから、昭和六二年一〇月一七日から平成元年一二月一六日まで計七九一日間の付添看護料は金三五五万九五〇〇円となる。

(三)  看護交通費

成立に争いのない〈書証番号略〉及び原告裕子本人尋問の結果によれば、原告建二の入院中、付添看護のため病院までの往復に要した交通費用は合計金六五万五〇四〇円であることが認められる。

(四)  入院雑費

原告裕子本人尋問の結果によれば、原告建二は、前記両病院入院中、紙おむつ、ティッシュ、パジャマ、栄養補助食品等を購入するなど入院諸雑費として日常生活費以外の費用を要したことが認められる。

右期間(七九一日)における入院諸雑費は、一日金一二〇〇円と認められるのが相当であるから、合計金九四万九二〇〇円となる。

(五)  家屋改造費用

原告建二の前記後遺症状に照らすと、その療養環境を整備する必要があり、これに伴ってある程度の費用の支出を余儀なくされたであろうことは推認されるけれども、居住建物を取り壊して新築することが本件事故により通常生ずべき損害にあたるとはいいがたく、それとともに、新築費用の何割かをもって本件事故と相当因果関係のある損害と認めることもまた困難である。

したがって、この間の事情は、慰謝料の算定において考慮するにとどめる。

(六)  療養消耗品費用

原告裕子本人尋問の結果により真正に成立したものと認められる〈書証番号略〉及び同尋問の結果並びに弁論の全趣旨によれば、原告建二は、将来にわたって、消毒液、ガーゼ、紙おむつ等の療養消耗品を必要とし、右購入代金として年額金二六万〇九七〇円を支出していることが認められる。

本件事故発生後である平成二年二月を基準としてそれ以降の療養消耗品費用額を計算すると、弁論の全趣旨によれば、原告建二は右基準時において満一五歳であり、昭和六三年簡易生命表によればその平均余命は61.21年であるから、右金額を基準としてライプニッツ方式により中間利息を控除して現在価額を算出すると、合計額は金四九五万三二六二円となる。

(七)  薬代

原告裕子本人尋問の結果及び同尋問の結果により真正に成立したものと認められる〈書証番号略〉並びに弁論の全趣旨によれば、原告建二は、将来にわたって、排便のための浣腸剤、整腸並び痰誘出のための内服薬等を必要とすること及び右薬代金は合計年額約一一万七六〇五円であることが認められるから、前記(六)と同様にして平均余命までの現在価額を算出すると、金二二三万二一六六円となる。

(八)  療養器具購入代金

原告裕子本人尋問の結果及び同尋問の結果により真正に成立したものと認められる〈書証番号略〉並びに弁論の全趣旨によれば、原告建二は、自宅療養に際して人工呼吸器、医療用ベッド、ポータブル浴槽、コルセット、空気清浄器、血圧計及び聴診器等の療養器具の購入を要したこと並びに右購入代金として合計金三九八万七二〇九円を支出したことが認められる。

(九)  訪問医療費等

成立に争いのない〈書証番号略〉及び原告裕子本人尋問の結果によれば、原告建二の自宅療養にあたり、志木中央病院から医師及び看護婦が二週間に一回、リハビリ介護士が週に二回来訪していること、右訪問医療費用として、平成元年一二月から同二年三月までの四か月間に合計金九万八五一〇円を支出したこと、将来にわたって同程度の出費が必要と見込まれることが認められるから、右訪問医療費等を年額平均金二九万五五三〇円と算定し、前記(六)と同様に平均余命までの現在価額を算出すると金五六〇万九一〇四円となる。

(一〇)  検査入院費

成立に争いのない〈書証番号略〉及び原告裕子本人尋問の結果によれば、原告建二は、自宅療養開始後も定期的に検査入院が必要であること、その年額費用は金一一万〇六一八円であることが認められるから、前記(六)と同様に平均余命までの現在価額を算出すると金二〇九万九五五一円となる。

(一一)  人工呼吸器の定期点検料金

成立に争いのない〈書証番号略〉並びに原告裕子本人尋問の結果によれば、原告建二の使用する人工呼吸器は六〇〇〇時間(二五〇日)毎に定期点検が必要であること、一回の定期点検費用は金九万四七六〇円であることが認められるから、年額費用としては金一三万八三四九円と計算され、前記(六)と同様に平均余命までの現在価額を算出すると金二六二万五八九一円となる。

(一二)  将来の付添看護費

前記1認定のとおり、原告建二が、終生日常生活全般にわたって全面的な介護・付添いを必要とする状態であることからすれば、原告建二が将来必要とする看護費用としては職業的在宅介護サービスの介護料を基準として一日金六八〇〇円が相当であるから、前記(六)と同様に平均余命までの現在価額を算出すると金四七一〇万八八五六円となる。

(一三)  診療費及び転院費用

原告建二が、診療費及び転院の際の費用として合計金四四八万六五九四円を支出した事実は、弁論の全趣旨によりこれを認めることができる。

(一四)  慰謝料

前記認定の原告建二の治療状況及び後遺障害にかんがみると、入院期間に対応する慰謝料と後遺症に対応するそれとを格別に論ずるのは相当でないから、両者を一括してその額を定めることとし、本件事故による受傷及び後遺障害の程度、原告建二の年齢等諸般の事情を総合考慮すると、原告建二の受けた精神的苦痛に対する慰謝料は金二二〇〇万円をもって相当とする。

(一五)  合計

前記(一)ないし(四)及び(六)ないし(一四)の各損害(合計額金一億六二〇〇万五六七三円)は、いずれも本件事故と相当因果関係のある損害というべきである。

なお、国の施策として被告ら主張のような身体障害者に対する種々の福祉制度が存在するにしても、これらの制度が不法行為損害賠償義務を法律的に免除し、又は軽減するものとは認められないのであるから、単にこれらの福祉制度が存在するというのみで損害賠償額が減殺されると解することはできない。

3  原告和也・同裕子の損害

原告建二は、本件事故の結果、ほとんどすべての運動機能を失い、今後とも回復の見込みがなく、終生他人の介護によって生活を送らなければならなくなったものであり、両親である原告和也及び裕子がこれによって被った精神的苦痛を慰謝するには各金五〇〇万円をもって相当とする。

五被害者による黙示の承諾の主張について

体操競技が危険性の高いスポーツであり、その練習中に落下、転倒等の失敗が生ずるのを完全に回避することが不可能であることは当事者間に争いがないが、原告建二が右のような事実を認識した上で本件クラブに所属し、指導を受けて難度の高い練習に挑んでいたとしても、原告らが原告建二についての傷害事故による被害をあらかじめ認容してそれに承諾を与えていたということはできず、他に原告らが右の承諾をしたことを認めるに足りる証拠はなく、したがって、被告らの違法性阻却の主張は理由がない。

六過失相殺等の主張について

1  被告らは、原告建二にも本件のような落下を起こさないようにすべき注意義務が存在した旨主張するが、鉄棒演技において、一つの技を完成させる過程で失敗により落下することは当然のことというべきであって、原告建二が指導者である被告渡辺の指示に従わなかったというような事情が何ら存在しない本件では、原告建二に被告ら主張のような注意義務違反を認めることは到底できず、過失相殺の主張は理由がない。

2(一) しかしながら、本件においては、前記三1(二)認定のとおり、原告建二は幼少のころから体操の素質に恵まれ、本件クラブの選手コースに通って指導を受けるとともに数々の競技会に出場して優れた結果を挙げており、本件事故当時も、本件クラブの第一人者として、より難度の高い技を習得すべく練習を重ねていたものである。

このように、もともと素質に恵まれ訓練次第でオリンピックや世界選手権への出場を見込めるような相当の成果を期待しうる者に対して、体操選手の育成を目的とする選手コースにおいて課される練習指導は、児童生徒の心身の健全な育成・体位向上等を主たる目的として行われる学校の体育授業やその延長としてのクラブ活動におけるそれとは異なり、また、同じくスポーツクラブでの活動であっても趣味・娯楽的要素の強いそれとも異なって、他の競技者よりも一層難度の高い技を習得演技し、将来体操選手として大成することを主目標として行われることは当然である。この場合、トカチェフのような一層難度の高い技は、空中への跳躍、飛躍の高さ、回転、疾走等の速さ、跳躍、回転中のひねり等の複雑さ等がそれぞれ通常の技のそれを超えるのであり、したがってそのような一層難度の高い技に失敗があったときには、その練習者の身体の予定しない部位に大きな力、打撃を与える客観的な危険性をはらむものである。そして、それにもかかわらず、難度の高い技ほど練習中の失敗が避けられず、むしろ、種々の失敗を重ねることにより高い習熟度を達成することができることも明らかである。したがって、こうした一層難度の高い技の練習に伴う危険性の程度は、学校授業等の場合のそれとは比較にならないほど大きなものであるといわざるを得ない。しかし、そうであればこそ、他方、原告らは、原告建二の体操選手としての成功に伴う多大な栄誉・利益もまた、原告らに帰属するものとして当然に期待することができるのである。

原告建二の場合、被告渡辺本人尋問の結果及び弁論の全趣旨によれば、原告建二自身、選手コースの目的、現実に受けている練習の難易度、自己の素質・将来性等をよく知った上で、その自由意思によって選手コースに所属し、体操選手として世界に通用する実力を養成することを期待して、トカチェフ等の一層難度の高い技に挑戦し、原告らも同様の願いを抱きながら心から原告建二を支えていたことが認められるのであって、原告らが右のような挑戦や練習の意味内容を理解しないのに、あるいは、原告らが反対の意思を有しているのに原告建二に対する練習指導が行われていたというわけではない。

この点につき、原告らは、安全指導がされることを前提に具体的危険はないものと認識するのが通常である旨主張する。なるほど、指導に携わるスポーツクラブ側は、前記のような客観的な危険をよく分析把握し、練習計画等の周到な立案、練習方法の適切な説明、実地の的確な助言、練習の際の適切な補助等により、右の客観的な危険の現実化による傷害事故の発生を回避し、防止すべき義務があることは当然である。しかし、前述のような選手コースにおける指導目的に特殊性及びそれに応じた一層難度の高い技に内在する高度の危険性に加え、右のような難度の高い技の練習は、練習者の任意の意思により開始され、上達が企てられ、その企図の高まりとともに前記の客観的な危険の大きさが増大するのであり、指導者又は補助者が行う実地の助言や補助等は、あくまで受動的又は補充的にその客観的危険の現実化を防止するにとどまり、その客観的な危険の増大自体すなわち練習演技の進行自体を直接に統禦することはできない関係にある。しかも、右の練習演技の進行が右のように練習者の意思に委ねられるため、前記の客観的危険がいつどのような形で、現実化するかその具体的な転機と態様とは、常に指導者又は補助者がこれを現実具体的によく認識するものとは限らず、そのために前述のような結果回避の義務を怠って練習者に傷害事故を発生させる結果が生じないとは断言できない。そうしてみると、原告らが選手コースの内容・目的を認識しながら同コースに所属して指導を受けている以上、前示のような危険性についても認識し得たものと解さざるを得ない。

(二) 実際にも原告建二は、前記三1(一)認定のようにあん馬、平行棒等の練習を経て鉄棒の練習に移り、自発的に難しいトカチェフの練習演技に挑んでいたのであり、他方、前記三1(四)認定のとおり、被告渡辺には適切な補助措置を講じなかった点で過失があるといわざるを得ないが、原告建二が、それまではトカチェフに失敗しても常に足から落下するか尻餅をつくかであって頭から落下した例は皆無であったことに照らせば、本件のような落下の態様は、被告渡辺において予測不可能とはいえないが現実にこれをあらかじめ具体的に認識しにくいものであったことが認められ、したがって、右の過失は、必ずしも重大な過失ということはできないものであった。

(三)  以上に見たような、被害者である原告建二が、本質的に高度の危険性を有する技であることを知りうべくしてトカチェフという極めて難度の高い技への挑戦を自ら任意に選択し、その練習を自発的積極的に行った結果、被告渡辺の重大な過失とまではいえない程度の過失により右の危険が現実化することによって前記認定の傷害を負うに至った事情は、損害の公平な分担という不法行為の理念に則り、過失相殺の場合に準じてその傷害を負ったことにより発生した損害額の算定にあたり相当の減殺割合をもって考慮すべき事由と解するのが妥当である。

そして、本件事故当時、原告建二におけるトカチェフの成功率が五〇パーセント程度に至っていたこと、当時中学校一年生という原告建二の年齢及び被告渡辺の立てた練習計画に従い、同人の実地の指導に服して練習を行っている最中であったことなどの事情を総合考慮すると、損害額の減殺割合は二割にとどめるのが相当である。

3 したがって、前記四2及び3認定の各損害額からそれぞれ二割を減じた上で本件損害賠償額を算定すると、合計額は次のとおりとなる。

(一)  原告建二 金一億二九六〇万四五三八円

(二)  同和也及び裕子 各金四〇〇万円

七弁護士費用

本件事案の難易度、審理経過、前記認容額その他諸般の事情を考慮すると、弁護士費用としては金一〇〇〇万円が相当である。

八損害の填補

1  被告会社から原告建二に対して合計金八六九万三四六〇円が支払われたことは当事者間に争いがなく、右事実からすれば、原告建二に発生した損害は金八六九万三四六〇円の限度で填補されているものと解するのが相当である。右金額の支払が損害の填補としてでなく被告会社が独自に負担するとの約定に基づくものである旨の原告の主張は、これを認めるに足りる証拠がない。

2 したがって、前記六3(一)及び七認定の額から右填補額を控除すると、原告建二についての損害賠償額は金一億三〇九一万一〇七八円となる。

九結論

以上の次第で、本訴請求は、不法行為に基づく損害賠償として、被告ら各自に対し、原告建二に対する関係で、金一億三〇九一万一〇七八円及び内金八一七三万九三〇〇円に対する不法行為成立の後である昭和六二年一〇月一八日から、内金四九一七万一七七八円に対する同じく不法行為成立の後である平成二年二月一七日から各支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求め、原告和也及び同裕子に対する関係で、各金四〇〇万円及びこれに対する不法行為成立の後である昭和六二年一〇月一八日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払をそれぞれ求める限度において理由があるからこれを認容し、その余は失当であるからこれを棄却し、訴訟費用の負担につき民訴法八九条、九二条本文を、仮執行の宣言につき同法一九六条一項をそれぞれ適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官雛形要松 裁判官北村史雄 裁判官増森珠美)

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